犬が二毛の人々 より
ひとりのご老人のお話しを読ませていただきました。
阪神地区には縁もゆかりも無い私ですが
ひとつだけいつまでも忘れられない思い出があります。
2007年1月17日に 第2弾を書いてみました。
上仲大志君のキーワードで起こしのかたは、
ぜひこちらもご覧になってみてくださいね。
神戸の震災から数カ月くらい過ぎたある日
朝日新聞の投書欄で若いお母さんの手記を見つけました。
細部まで詳しく記憶はしていませんがおよそこのような感じでした。
「私の息子は上仲大志といいます。
1歳6ヶ月になったばかりでした。
この避難所に息子はおりません。
世の中の誰もが息子を知りません。
どなたか息子がこの世に生きていたことを覚えていてください。
私の息子は ウエナカタイシ といいます。」
お手紙のやり取りをしたわけでもなく、
その後のお母さんの周囲のことも一切わからない私ですが
お母さん、大丈夫、忘れていませんよ。
私はずーっと覚えていますからね。
2005年09月26日
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涙が出た、んじゃありません。泣きました。
あのご老人との会話で書きませんでしたが、「運命だったんですよ。仕方が無かったんですよ。」って言ったんです。人によっては傷つけてしまう言葉と承知で。それに対する言葉が、あの「気持ちよう猟に出してくれたんですわ。」でした。
私には鴨に餌をやる姿が命に対する供養に思えてなりませんでした。
上仲大志くん。
亜貴子さんが覚えてくれてますよ。
おばちゃんも教えてもらって、今日からしっかり覚えるからね。
うちの息子と5歳違いの男の子。
今頃は反抗期の始まる、小学6年生だったんですね。
上仲大志くんのお母さん。
何年たっても、覚えてくれている人がいますよ。
そして、新たに覚えた私達もいます。
阪神大震災、こわぃですね。
関西に住んでいたので、とっても揺れたのを覚えています。
うちは、家具が倒れるほどではなかったんですが、
すごくすごく長い時間、揺れていたので、
船酔いみたいに気持ち悪くなってしまいました。
その時は怖くなかったんですけど、朝になってテレビを見てびっくり・・・。
子供の頃って、天災をナメてたんです。
台風や地震はわくわくするもので、警報でれば学校が休みになるからラッキーってゆー感じで。
家の中にいればぜったい大丈夫だと思っていました。
あの震災は、天災に対する価値観をガラリと変えた出来事でした。
きっと一生忘れることはないと思います。
「運命だったんですよ、、」は体験した方だけが言っても許される
言葉じゃないでしょうか。上っ面の慰めではなく、
ご老人も心底からのお言葉として聞き入れられたでしょうね。
朝から泣かせてしまってごめんなさい、ありがとうございます。
●まーまま●
ありがとうございます。いつかどなたかに伝えたいと思ってました。
お名前の字も、間違いないはずです。
普段は忘れっぽい私なんですけどね。
だって今日の夕飯のメニューは、もう記憶に無いから・・。
●なぎささん●
そうですよね、その時に自分や自分の親しい方に直接なにかがなければ
誰でもそんなもんですよね。私もこのお母さんの手記を読むまでは
そうでしたから。漠然とお気の毒に・・くらいでしたもん。
愛するものを守りきれなかった辛さはご本人にしかわからないでしょうね。